まえがき
われわれが対象にした時代は「昭和十年前後」である。昭和十(一九三五)年を基点にして前後二〇年の幅をもたせた。結果的には、「昭和十年前後」という時期を「現代文学の根本的な再編成のエポック」とした平野謙の見解と、「戦争」そのものを思想史上の転換点とする見方の双方を念頭においた格好となっている。また、昭和前期を「『大正的なもの』からの切断」によって「昭和的なもの」が成立した時期とみる柄谷行人の「転向」解釈と関連する面もあるだろう。しかし、大きな見取り図を描き出そうとするところに本論文集の眼目があるわけではない。もちろん既存の枠組の中で特定のイデオロギーを再生産しようというのでもない。
「あとがき」に詳しくあるとおり、「昭和十年前後」を対象にした本研究は、そもそも出版を企図したものではなかった。キャリア、専門、所属などが参加者に問われることはなく、各自が問題意識を持ち寄るための場所だけがまずあった。事の始まりから曖昧で流動的だったその場所には、やがて「文学・思想懇話会」(通称うたたね会)という名称が与えられることになる。
ここで特に意識されている研究領域は「文学・思想」である。なるほど丸山真男が言うように、昭和初期のマルクス主義は「文学」に「衝撃」を与えた。西田哲学から出立したマルクス主義者である戸坂潤は、「昭和十年前後」の思想家として、「文学」の外部に敢然と立った(『日本イデオロギー論』白揚社、昭和十年)。かつてマルクス主義は、「日本」に「文学」(乃至「文芸」)と「思想」とがせめぎあう場を提供したのである。
それに対してここで志向されているのは、個人がそれぞれ「外部」として立つことを心がけるならば、さまざまな小さな「衝撃」を与えあいつつ思考することが可能ではないか、ということであった。本論文集の編者「文
学・思想懇話会」は、そのために発足したのであった。
タイトルに「近代の」とあるのは、「近代の超克」座談会とも関わっている。これまで多くの文学者や思想家が領域を超えて「近代の超克」論をおこなってきたという点のみならず、「近代」そのものを俎上にのせた企画であったという点において重要性が認められるからである。他方「夢と知性」は、坂口安吾の『吹雪物語』の副題から借用した。安吾もまた「昭和十年前後」という時代に「近代」の抱える問題と取り組み、「夢と知性」によって乗り越えようとした文学者、思想家のひとりにかぞえられるだろう。
「知性」を突き詰めようとする表現行為がそのまま昂進する「夢」、あるいは、あたかも「夢」の如き現実を舵取ろうと浮き沈みを繰り返す「知性」。結局「昭和十年前後」とは、戦争が日常化し世界化していく苦境の中で、多元的で多様な言説が提起され抗争した時代ではなかったか。そのときに溢れ出した知の、すなわち夢の断片は、外部の一撃によって夢醒めたと思われた「戦後」という時代にも形を変えて生きのび、今なお生きている。「夢と知性」という抽象的な領域を設定することにより、「昭和十年前後(1925〜1945)」と現代との間に、断絶や違和感と同じ量の共通性や連続性を見出してゆければと思う。
元号と西暦を併用したのも、当時の歴史意識と現代のそれとを交錯させて考えたためである。元号を用いる「日本」にとっても、西暦採用地域において注目されてきた一九三五年前後の「世界」は、鮮烈な歴史意識を提供する時空間なのである。
開高健の短編小説に、登場人物の「重役」と「小説家」が、昼下がりの日曜日、一九三五年のロマネ・コンティを飲み終えるまでに体験した感覚を描いたものがある(「ロマネ・コンティ・一九三五年」『文學界』一九七三年一月号)。四〇年近くの時を経過して始めてその封を切られたワインを口に含んだとき、予想に反し「小説家」は「手ひどい墜落」をおぼえ、「重役」はしばし無言にならざるを得なかった。それは確かに本物であったが、生地の味はすでに失われていたのである。しかし、ワインの誕生年に起こった日・ソ・独・中・仏・伊の出来事について調べたメモを「小説家」が気晴らしのように読みあげたのを境にして、事態は徐々に好転する。味の無残さにもかかわらず、異国の記憶が歳月を超えて招来されたのである。失望はやがて感嘆へと変わる。結局、どうしても飲むことのできない最後の「渣」を残して、ふたりはそのロマネ・コンティを飲み干すに至る。
われわれの仕事が、いつの日か想起を誘う「メモ」のような役割でも果たすことができれば幸いである。
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