文学・思想懇話会
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[活動記録]

第9回 文学・思想懇話会(2004.8/22)の報告

 第3回九州大学日本語文学会との共同開催のかたちで、九州大学六本松キャンパスの一室をお借りし、第9回文学・思想懇話会研究発表会が開催されました。
 あわせて、これらの会合に先立ち、午前中には、共同研究「近代日本における<座談会>の成立過程についての動態的・総合研究―雑誌メデイアにおける基礎的調査を中心に―」の中間報告も同日同会場で行われました。
 以下の印象記は、これら同日開催の会合についての印象記も含まれております。

●謝 辞  森岡卓司
●印象記1 柳瀬善治
●印象記2 中野和典
●予告として掲載した開催案内


●謝 辞

森岡卓司 (文学・思想懇話会運営委員)

 さる平成16年8月22日の午後、九州大学六本松キャンパスの一角をお借りして、第9回文学思想懇話会の研究会を開催した。当日同会場では、午前中には共同研究「近代日本における〈座談会〉の成立過程についての動態的・総合研究―雑誌メディアにおける基礎的調査を中心に―」(日本学術振興会科学研究費助成)の報告会が、そして午後の早い時間には九州大学日本語文学会の第3回研究会がそれぞれ行われ、併せて5つの発表(+質疑応答)、時間にして6時間を超える日程となった。

 このようなハードな日程は、本会(担当幹事)の不手際によるところが大きい。
 元々仙台を主な研究会開催場所として始まった本会は、運営委員の異動などに伴い、或いはテーマに縁の場所を探しつつ、全国および国外を転々としながらその後の研究会の開催を続けている。そのような流れの中で、運営委員の一人もいることであるし今回は九州での開催を、との声が上がり、また別団体ながらメンバーの重複も多い〈座談会〉共同研究の側でも、それなら九州での図書館調査と報告会を、ととんとん拍子に構想だけは膨らんだ。そして研究発表の準備に取りかかったその段になって、公共の研修所は日程や在住地の都合で使用できないことがわかり、研究会開催のための会場が押さえられないという事態に直面させられたのである。今こうして書いていても恥ずかしい限りの失態であるが、結局開催を断念するほかないか、という結論に ほぼ至りつつあったその折り、以前より『近代の夢と知性―文学・思想の昭和一〇年前後―』をはじめとする本会の活動に関心を寄せて下さっていた九州大学大学院の石川巧先生が助け船をお出し下さった。その結果として、九州大学日本語文学会の前後に寄生させて頂くような形で、この度の会合を何とか実現できる運びとなった。

 このようなご迷惑をおかけしながらも何とか開催にこぎ着けた当日ではあったが、以下の印象記にも明らかなように、充実した研究発表と沢山のご参加とを得て、怪我の功名と言うべきか非常に内容の濃い一日となった。故花田俊典先生の急逝から間もないこの何かと大変な時期に、石川先生をはじめ、九州大学大学院生の皆様には、場所や日程のみならず、開催準備から懇親会の設定に至るまで想像を超えるご迷惑をおかけし、今回の開催担当幹事として本当に有り難くも心苦しく、改めてお詫びと御礼とを申し上げたい。特に、『九大日文』をはじめとする多くの研究成果をご寄贈下さり、また今後の研究上の交流を続ける路を拓いて下さったことは、本当に望外の喜びであった(その後既に、全く別の場所で再会を果たして議論と交流とを続けた九大日文と文学・思想懇話会のメンバーがいるとも聞く)。

 しかし、当然のことながらこのようなご厚意をただ喜んでばかりいるわけにはいかない。お寄せ頂いたご期待に応えるためにも、研究会運営の方法を厳しく見直し、研究活動の進展を図る方途について、討議と模索とを既に始めている。そのような機会をお与え頂いたという意味でも、この度の会は貴重なものとなった。

 中州の川端で水面と豚骨スープを眺め比べながら談論風発の懇親会は本当に楽しく記憶に残っている。流浪の研究会と化している本会にとって、各地でこのような機会に巡り会うことは醍醐味の一つに違いない。今後もこのような交流をさせて頂くには、魅力的な研究活動を継続していくことが必須の条件だろう。改めて石川先生をはじめ九州大学日本語文学会の皆様に御礼を申し上げるとともに、本会の整備と発展とをお約束して、謝辞にかえさせて頂きたい。

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会合風景

●印象記1

報告者: 柳瀬善治

 前夜の中洲での関サバ、屋台ラーメン、一口餃子の記憶もさめやらぬ中? いつもは原爆文学研究会が行われている九大六本松キャンパス比較社会文化学府の大学院棟の1室にて第九回の文学・思想懇話会が行われた。場所などの関係で九州大学の日本語文学研究会との合同開催ということになり、佐賀から菅原潤氏、また原爆文学研究会で九大とゆかりの深い川口隆行氏も参加され、いつもと雰囲気は違うが賑やかな会となった。

 午前中(11:00〜)は、山崎義光氏、森岡卓司氏、鳥羽耕史氏、土屋忍氏らによって進行中の共同研究「近代日本における<座談会>の成立過程についての動態的・総合研究―雑誌メデイアにおける基礎的調査を中心に―」の中間報告が行われ、鳥羽氏が代表でこれまでの調査の経過を報告した。
 これまでの研究経緯の説明があり、言動を記録されるべき対象(人物)について、また女性の談話会と男性の討議の差異、そして座談会を模倣する問答体(谷川徹三「文学形式問答」)の存在、「文藝春秋」座談会との関係(蘇峰、如是閑など)について報告がなされ、これまで収集した座談会の資料のデータが示された。
 報告後、まず九州大の石川巧先生より(1)『文藝春秋』における菊池寛の存在、つまり同時代の文壇の形成と座談会の形成〜若い作家に対する「食い扶持」、(2)山本実彦「改造」のような編集者の存在(円本宣伝の講演旅行)、(3)バーナード・ショー来日や円本文化との関係について質問があり、これに関連して山崎氏より、投稿欄の廃止との関係、合評会の増加や談話筆記に対する久米正雄や中村武羅夫のような特定の作家や編集者の介在や影響、そしてそれ以前から歌舞伎の世界などに存在していた劇評の伝統(あるいは鴎外らの「めざまし草」など)との関係について補足説明があった。
 そしてハーバーマス以後の「文学的公共圏」の問題(山崎)、アララギなどの歌壇での合評(森岡)、役者評判記と問答体との関係(三浦)、植民地の雑誌での座談文化(川口)、データベース化の際の問題など様々な問題が話し合われた。


 午後は九州大学日本語文学会の発表で、最初は河内重男氏の「白痴教育と文学 『春の鳥』を中心に」
 氏の『九大日文』4号に掲載された論文「『春の鳥』論「英語と数学」の教師とは誰か」の続編に当たるもので、『春の鳥』の背景に当たる当時の教育思想について広範な検討を加えたものだが、長時間の論述にもかかわらず、言及されている言説と当該作品との距離が離れすぎていて聞き手がその妥当性を推し量ることができず、またプレゼンテーションとしても資料の作り方に不備があるのに加え(論構成がまるでわからない)、まったく話に山が作られないため、多くの教育思想家について言及しながらも何を中心にして説明したいのかが不鮮明なまま、1時間を経過したところで説明を打ち切るという残念な結果に終わった。
 言及された教育思想については菅原氏と川口氏より確認の質問(正常―白痴の図式に対立する「理性の狂気(カントーシェリング)」の問題)があったが、氏はもう一度研究発表のプレゼンテーションについて再考したほうがいいと思われる。
 また、『春の鳥』で描かれた教育の表象と当時の教育言説の偏差の問題は氏の前論の指摘を待つまでもなく重要だが(氏の前掲論文は非常に啓発的なそれ自体優れたものである)、教育思想のみを調べても「それだけが作品の構成要素ではなく」さらに「小説は当時の諸言説にすべて還元可能なものではない」ことを考えればそれがいかなる帰結をもたらすかは明らかであろう。また独歩を離れて「教育思想と白痴」に焦点を絞るのであれば芹沢一也『法から解放される権力』(新曜社)のような当時の犯罪学や法学の動向も視野に入るであろうし、落語や民話にあるような「阿呆」が実は最も鋭い社会への批判者であるという物語りの定型と「狂気」や「白痴」が社会から囲い込まれていくプロセスとの接触面を同時代のさまざまな物語に見ていくことも必要になるのではないか。

 続いては、武内さやか氏による「「私」とワカナの「放浪記」―メディアミックス(吹き寄せ形式)の体現としての漫才」
 富岡多恵子、鶴見俊輔らの先行論と秋田実の著作を整理しながら、これまでは「秋田の東大新人会からの転向」という観点から見られていた秋田の漫才作家としての言説実践を、「メディアミックス」と「漫才台本の作者」という「書き手」「受け手」の問題から検討する(これは逆に漫才という視座から「作者」「読者」「観衆」という文学やメデイアの概念を問い直すことでもある)という試みである。話題は長沖一らとの比較も行われたため話題は漫才台本の作者と大阪の作家(織田作之助など)の比較という視野にも広がった。
 まず、漫才を検討の対象としたこと(及びメデイアミックスという視座の妥当性の確認)の確認があった後、寸評子(柳瀬)が、(1)同時代のエノケン一座の菊谷栄のような座付き作家(「批評空間」2−4の京都学派を巡る座談会で久野収の指摘有り)や同時期に東京吉本に所属していた「あきれたぼういず」(川田晴久、坊屋三郎らの)のような「ボーイズもの」(秋田台本にもある「カルメン」は彼らの十八番のひとつ)における「作者」の問題、また(2)有崎勉(柳屋金語楼―東京漫才の草分けリーガル千太万吉は金語楼の弟子―)、益田太郎冠者、正岡容といった大正から昭和初期にかけての「新作落語作家」との比較の問題、さらに彼らの芸の「受け手」であった丸の内のインテリ層(浅草の客層の問題を『日本の喜劇人』で小林信彦が指摘)といった観衆の問題を質問した。
 議論の中で漫才は先端的なモダニズム芸術といえるのではという発言も飛び出したが、実は同様の発言を先の座談会で久野収がしており、そのような「洗練」が、たとえば後年小沢昭一の「日本の放浪芸」(70年代のレコードが近年CDで復刻された)でかろうじて記録された「三河万歳」の流れを残した砂川捨丸らの芸との断層をどのように示しているかを問うことはできるだろう。
 さらに4「テクストは誰のもの」の論点とも関わるが、当事者であった花菱アチャコの「遊芸稼人」や近年の上岡龍太郎(小林信彦監修の1963年のTV番組で実際にエンタツアチャコの2人と競演している)『米朝上岡が語る昭和上方漫才』(朝日新聞社 2000)のような実際の漫才師による発言も秋田の台本がどのように「肉体化」されていったかを知る上で重要だと思われる。
(笑いの理論化としては絵画における笑いの分析としてポール・バロルスキー「とめどなく笑う」(ありな書房)、落語の笑いの分析については野村雅昭の言語学的なアプローチによる一連の研究、正岡容一門でもある桂米朝「落語と私」の他、立川談志「あなたも落語家になれる」(三一書房)と弟子の志らく「全身落語家読本」(新潮選書)による独自の試みがある)。
 また秋田の漫才台本については現存しているエンタツ・アチャコやワカナ一郎のSPの録音( CDによる復刻として 「上方漫才黄金時代」がある)を具体的に聞かせた方がよりリアルにイメージしやすかったのではとも思う。


 本題? の文学思想懇話会の発表としては、まず最初に「開くことと閉ざすこと―円地文子『二世の縁拾遺』をめぐって」と題された三浦一朗氏による円地文子『二世の縁拾遺』上田秋成『二世の縁』の翻案についての考察。
 初出時の追記や原拠(岩波「漆山本」) これまでの先行論の整理―「女の業」(奥野健男)、「生命感」(吉田精一)、「他者=男の内面を支配する表現構造」(亀井秀雄)、性的幻想により「私」と他の人物が「重なり合い解け合う」(竹西寛子)―を丁寧に行ったうえで、『二世の縁拾遺』の作品構造を詳細に検討したのち、そこにはらまれた円地の翻案の「バイヤス」によって取りこぼされた要素を近年の秋成研究の成果(そこに単なる仏教批判ではなく、「人びとの織りなす世の不可思議さ」(野々村)、「共同体の変化の可能性を探る一種の社会小説」(高橋深雪))から探ろうとする試みであった。
 質疑では円地の翻案によって「取りこぼされたもの」を焦点化する事の意義や事前の要旨で言及されていた「天皇制」や「国学」に関する言及が発表での「現世の因果の可逆性」や「共同体」「社会性」の指摘とどう接続するのかといった質問が交わされた。
 寸評子が興味を引かれたのは三浦氏が引用された鈴木貞美氏の指摘―「性愛による存在の輪郭溶解」が現代の女性詩人や作家に選び取られており、そこで展開された「偏在する異性にからだを開く幻想」が円地の『二世の縁拾遺』と共通するという指摘である。
 80年代なかばに中上健次や古井由吉によって古典を読み替えた小説の試みが(『化粧』『山躁賦』など)行われたが そこでの古典のエクリチュールと性愛・神話との関係は(渡辺直巳らの伝説的同人誌『杼』でその試みの一端を中上・古井自らが解説している)ここで言われた「性愛による存在の輪郭溶解」と極めて近い。
 現代の作家が行う古典のエクリチュールへの接近とその翻案の試みが「性愛による存在の輪郭溶解」という主題と結びつき、そして独立した「作者」への疑いと古典世界の集合的な語り(古井の言う「生前の目」と私小説再評価、あるいは中上の「神話」と物語批判)への関心とが密接に結びついていることは非常に興味深く、ある意味で円地の仕事はそれらに先駆しているとも言える。
 また近年では津島祐子氏ら数十人の女性作家が『テーマで読み解く日本の文学』上下で日本の古典文学を読み解く試みを行っているが、こうした現代作家の古典への接近もまた検討に値しよう。

 畑中健二氏の報告は和辻哲郎を中心とした奈良=ギリシャ説についての検討で、そのテーマの重大さとは裏腹に笑いもこぼれる中で行われた。
 日本の近代の思想家文学者が行った奈良=ギリシャ説の言説においては、その際に(後年の井上章一の反証にもかかわらず)唐招提寺など建築の公準が引き合いに出されること、また文化的な伝播論から超歴史的な符合論の独断へと移行すること、そこでは奈良での「古都」のイメージの産出が行われ、これが同時代の官のツーリズムの戦略とも似通っていたことなどが指摘され、保田の和辻批判や戦後の三島・小林秀雄のギリシャ表象(故郷喪失者としての)にも触れながら、近代の思想家、文学者の古代表象と文化ナショナリズムとの関係、そしてそれが絶えず海外の思想状況を意識しそれをいわば翻案する形で行われていたことが簡潔に確認された。
 菅原氏の質問にもあったように保田與重郎を中心とした日本浪曼派の言説戦略(その脱亜論的思想構造もふくめ)を和辻らのそれと平行して考える必要があるだろう。
 またこれも菅原氏の指摘に示唆を受けて言えば、ヴィンケルマン―シラー―ハイデガーへと至るドイツ思想史での類似した試みも当然彼らは意識していたと思われ(またそこにはリーフェンシュタールやヘルダーリンも視野にはいるだろうし、イギリスロマン派ではおなじみの構図である「廃墟」への着眼 ―ギリシアへの無限退行をなす18世紀庭園論も含む― も畑中氏の指摘にもあったように重要である)、さらに土屋氏の言うイスラムや東南アジアの隠蔽も彼らの思索のまさに「脱亜論的構造」を物語るものとして考慮すべきである。(石川先生による木下杢太郎と和辻との交流の指摘は、ギリシャの「清潔な」文化と「混血文化」へと広がるものであろう)。さらには戦中記のツーリズムと伊勢・京都などの古都表象との関係も視野に入れればより広範な文化史的パースペクテイブが開けるだろう。
 『文化とファシズム』(日本経済評論社)所収の高岡裕之論文「観光・厚生・旅行」が説くファシズム期のツーリズムの問題、あるいは小路田泰直『国民<喪失>の近代』(吉川弘文館)「古都京都の創造と挫折」が指摘する(高田良信『近代法隆寺の歴史』による岡倉天心フェノロサ伝説の否定を受けた)古社寺保存法と都市計画事業との関係などはこの論点と結びつくものである。
 また質疑時に寸評子が指摘したことだが、中村光夫『憂しと見し世』で言及があるような(中村が1944年にエミール・マールの「フランスにおける中世宗教美術」と「ドンキホーテ」を通読し、吉川逸冶が中村に「これからは唐草模様のような抽象的な美術が日本にも現れる。そして人間は消えてしまうんだ」ともらしたこと)こうした動向に感覚的に反した記述を同時代の言説から洗い出すことも必要だと思われる。
(建築という観点からは最近福田和也氏と磯崎新氏の対話『空間の行間』(筑摩書房)での指摘が保田にも触れていて興味深い)

 いわば今回の会は期せずして「語りの独立性と集合性の関係、そしてそこから新たに問い直された伝統とメデイア」という点で共通していると思われ、そのためのより明確な方法意識を模索することが望まれているといえる。


 会のあとの懇親会はいつもの? 「悠好・朋友」の中華ではなく中洲の川に面した瀟洒な水炊き屋で行われ、美味しい料理を頂きながら、さまざまな話に花が咲いた。そのあと二次会を経由してお定まりの中洲の屋台での酒とラーメンへと流れていくこととなったのだが、怪我の功名でジョイント開催となった今回の研究会は非常に有意義なものになったのではないかと思う。
 そう考えるにかえすがえすも故花田俊典先生がご存命ならばと悔やまれるが、このジョイント自体、花田先生が種をまいた研究会の土壌での若い研究者同士の接点が事前にあって実現したものであり、これからその土壌の上で研究を大きく花開かせていくことが花田先生の思いに答えることになるのではないかと考える次第である。

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●印象記2

報告者: 中野和典

 午前の部は、途中からしか参加できなかったので、午後の部について印象を記すことにする。
 まず、第3回九州大学日本語文学会について。河内重雄氏の「白痴教育と文学―「春の鳥」を中心に」は、明治期以降の「白痴」教育に関する教育制度の変遷と国木田独歩「春の鳥」などの「白痴」が登場する小説群との関係を追究する試みだったが、「白痴」教育の制度やその基底にある「白痴」観の枠組みに従って、文学テクストをとらえようとするあまり、まるで小説群がそれら制度や理論のサンプルでしかないのような関係づけ方になっているように感じられた。そのような扱い方では制度や理論を補強し裏付けることにはなっても、文学テクストが生み出すクリエイティヴな要素(意味づけの更新作用というようなもの)を論じることにはならないだろう。なぜ、この小説群に注目する必要があるのか。この小説群と「白痴」教育制度の変遷を関係づけることによって、どのような問題が見えてくるのか。課題が残る発表であったと思う。

 武内さやか氏の「「私」とワカナの「放浪記」―メディア・ミックス(吹き寄せ形式)の体言としての漫才―」は、漫才作家・秋田実の漫才台本やエッセイに対する考察を起点として、漫才という様式が、内容としては社会運動や小説などを、形式としては対話や方言などを、柔軟に取り入れ、駆使しながら「笑い」を立ち上げてゆく、その機能の広がりに注目した論考であった。テキストである漫才台本や読み物とエンタツ・アチャコやワカナ・一郎等による実演という媒体の交錯、語り手/聴き手の雑多な生活感も織り交ぜながら成立する漫才という様式のメディア・ミックス機能の魅力が十分に伝わる発表であった。ただし、「笑い」の理論化、あるいは「笑い」のテクストは誰の者か、という問いが、武内氏の問題編成の中でどのように位置づけられているのか、先行研究を乗越え点として「笑い」の作用の可能性をどのように追究していくのか、という点については曖昧さが残ったように感じられた。ミックス(混合)状態になっている問題のひとつひとつに武内氏がなぜこだわるのか、問いの前提に目を凝らしたくなった。


 続いて、第9回文学・思想懇話会について。
 三浦一朗氏の「開くことと閉ざすこと―円地文子「二世の縁拾遺」をめぐって―」は、上田秋成の「二世の縁」(岩波文庫版『漆山本春雨物語』所収形)と円地文子の「二世の縁 拾遺」中の老学者・布川による「二世の縁」の口語訳とを比較しながら、円地による「再創作」が生み出した積極的に評価すべき改変(開くこと)と消極的に評価すべき改変(閉ざすこと)について論じたものだった。テキストの丹念な比較と上田秋成研究の成果にも言及しつつ立ち上げられる問題編成は実に刺激的なものであった。ただし、「二世の縁 拾遺」が「閉ざしたこと」、つまり秋成の「二世の縁」に見られる社会小説的な要素を捨象しているということの意味づけには疑問が残る。三浦氏自身が述べていた通り、「二世の縁」という原文の活かし方・訳し方・引用の仕方について、それが「閉ざすこと」と言えるとしても、「二世の縁 拾遺」というひとつの小説の構成要素として見た場合、「閉ざすこと」にも何かしら積極的な意味を見いだせるのではないだろうか。仏法という救済システムの位置づけ自体が変容した現在において、「開くこと」と「閉ざすこと」にはどのような関係があるのだろうか。「二世の縁 拾遺」における布川訳以外の部分とのより緊密な関連づけ、特に性的な幻覚の作用を問い直す必要があるように感じられた。

 畑中健二氏の「研究ノート:奈良とギリシア―和辻哲郎を中心に」は、「日本の古代文化」を代表する奈良を価値付ける際に言及されるギリシアの、その引き合いの出され方、関係づけられ方を通じて見えてくる問題を論じたものだった。ギリシアへの憧憬が和辻哲郎や會津八一による法隆寺や唐招提寺の柱への「偏愛」として顕れる様や、伝播論から符号論への変化の指摘は、笑いを誘いもし、また熟考せずにはいられない問題を突きつけられたようでもあった。質疑応答も大変な盛り上がりで、日本の脱亜論的な思考とドイツの脱ラテン文化的な思考の類似性、ロマン派と廃墟の関係、代償行為としての風景の発見の問題、和辻哲郎に接近した木下杢太郎による中国への眼差し方の問題等々についての発言があった。美をとらえるスケール(尺度)や文化的な自己同一性の成立に介入してくる政治性の問題をはじめ豊かな示唆に富む研究発表と質疑応答だった。

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予告として掲載した開催案内

第9回 文学・思想懇話会

日時 : 2004年8月22日(日)
   15:00を予定
九大日本語文学会の研究発表会終了後、
同会場で引き続き開催させていただきます。
場所: 九州大学六本松キャンパス
 大学院棟1F101号室

研究発表

●開くことと閉ざすこと―円地文子「二世の縁拾遺」をめぐって―

     三浦一朗 (東北大学大学院)

円地文子「二世の縁拾遺」は、初出時(『文学界』昭和32・1 )の追記に明記されるように上田秋成「二世の縁」(19世紀初 め成立、『春雨物語』所収)に基づきつつ、大きく換骨奪胎し ている。本発表では原拠から直接得られる読みの可能性と、「 二世の縁拾遺」でのバイアスとの距離を測り、後者が切り開い た可能性と閉ざした可能性について論じる。考察の対象は個別 的なものに過ぎないが、国学や天皇制なども含めて、近代の古 典受容という問題に拡大すれば様々な議論につながるのではな かろうか。そのような議論の足がかりを提供できる発表になれ ばと考えている。

●奈良とギリシア─和辻哲郎を中心に

     畑中健二 (東京工業大学)

 昭和初期のいわゆる日本への回帰の思潮に前後して、奈良を日本文化のふるさ と、あるいは近代の汚辱にまみれていない隠れ里とするような言説が現れるが、そ の際「此処こそは私達のギリシアだ」(堀辰雄)といった言い方にあるように、奈 良とギリシアとを重ね合わせる見方を多く確認できる。そもそも、フェノロサが奈 良の古仏を古美術として発見して以来、奈良が評価される際にはギリシアがさまざ まなかたちで引き合いに出されてきた。このギリシアの語られ方を通して、近代日 本の文化的ナショナリズムに関わる思想に新たな光を当てられないだろうか。
 今回は、この試みの第一歩として大正〜昭和はじめの和辻哲郎を取り上げ、堀辰 雄や會津八一に大きな影響を与えたとされる『古寺巡礼』、また翻訳『希臘天才の 諸相』等から彼のギリシア観を拾い上げたいと思う。
参考文献:
和辻哲郎『古寺巡礼』(岩波文庫)。
浅田隆・和田博文編『古代の幻─日本近代文学の〈奈良〉』、世界思想社、2001。
井上章一『法隆寺への精神史』、弘文堂、1994。

(注)
 発表題目など変更する場合もあります。ご了承ください。(2004.8/09)

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