●感想記
報告者: 畑中健二
九月十七日、この時期にしては珍しく汗ばむほどの陽気となった北海道大学にて、久しぶりの文学・思想懇話会の集まりが持たれた。第十回となる今回は、1960年代を主題とする共同研究のいわばキックオフ・ミーティングとして森岡卓司氏が中心となって企画され、北大にお勤めの押野武志氏のお世話で実現したものである(1960年代研究の趣旨については、いずれ別稿が準備されることと思う)。羨ましいほどに広々とした北大構内は、夏期休暇中ということもあって人影はまばら。また、後述するような理由もあって参加者は九人、こじんまりした会となった。
14時の森岡卓司氏の基調報告に始まり、休憩をはさみながら18時頃まで発表と議論を行った。その全体を忠実に要約することは手に余るので、筆者の個人的関心に基づく若干の感想を並べることで代えさせていただきたい。
まず森岡卓司「1960年代の文学/思想」では、60年代の思潮に1930年代の反復ともいうべき相似性が見られるという指摘をはじめ、研究にむけてのいくつかの論点が提示された。また、報告中で触れられた「在日朝鮮人文学」という呼称が60年代に広まったという事実も、興味深く思われた。土屋忍「『若い読者のための短編小説案内』(村上春樹)の対象作品をめぐって」では、大塚英志の『村上春樹論』を下敷きに、90年代の村上春樹が60年代の江藤淳をなぞっていることを示しつつ、村上春樹─江藤淳─「第三の新人」という三角形の関係を浮かび上がらせようとするものだったと思う。森岡発表とあわせ、1930年代/1960年代/1990年代という30年ごとの奇妙な反復が見えてきたことは、私には新鮮で面白かった。もちろんそれらは偶然かもしれないが、30年隔てた言説の相似点と差違とを明らかにして比較することは、時代の思潮を読みとる視角として有効であろう。また、反復とは単なる相似ではなく、30年前にあったことを忘却ないし意図的に棚上げした上での反復でもあるのだから、そのような振る舞い自体を対象にある時代の精神分析といったことも可能になるのではないか。
野坂昭雄「一九六〇年代における『日本浪曼派』再評価をめぐって」は、50年代末に書かれた竹山道雄『ビルマの竪琴』と竹内好を対比しながら、60年代の「国民」や「市民」意識を検討する視角を試みるものであった。また、高橋啓太「一九六〇年代の梅崎春生−「記憶」を中心に」は、梅崎の「記憶」という短編の中で、まさに記憶の不確かさが、単なる不可知論的な諦念や「不気味な暗渠」としてではなく、「遂行的な位相」・記憶の「食い違いが生起するプロセス」(高橋)として現れていることを明らかにしようとするものだった。記憶という主題から、吉本隆明・大岡昇平らが「真実」と「事実」とを対比的に用いて松本清張を論じていることにも議論が及んだが、これは興味深かった。というのも、この「真実」「事実」の対比も、1930年代の歴史論争の反復に見えないこともないからである。
発表の最後は、野口哲也・高橋秀太郎両氏による「1960年代の『文藝』における文学批評の位置」と題するものである。60年代を対象とする共同研究に着手するにあたって当時の文芸思潮を概観すべく、『文藝』を材料に文芸批評の主要な論点の収集作業を行った、その報告であった。最初の森岡発表と最後の野口・高橋発表で60年代を広く見渡し、土屋発表〜高橋発表における個別論点を掘り下げる各論をサンドイッチするというかたちになっている。60年代初めには「硬文学」としての政治と文学の問題が注目されるが、やがて政治と文学というテーマから離れて想像力の問題へとシフトが見られること、また言語、他者といった論点があることが紹介された。
全ての発表の後、ディスカッサントの押野氏からコメントをいただき、さらに近藤周吾氏、畑中を交えて全体で議論を行った。押野氏からは、60年代を見る角度として詩的言語にも目を配る必要があるのではないか、また政治と文学に関しては当時の筆禍事件も俎上に乗せる必要があるだろう等の指摘があった。また近藤氏からは、そもそもなぜ今、1960年代という主題を設定するのかという根本的な問いも出された。さらに、松本清張、ミステリー、記憶、他者、江藤淳、実存主義、市民等々が60年代を見る上でキーワードになるのではないか、といったことが話し合われた。
スケジュール上それぞれ15分〜30分の発表時間しか取れず、各発表について十分な質疑応答をする余裕がないため、最後に一括して討論というかたちとなった。各発表者は意欲的に取り組んでくださり、厚手の資料も用意していただいたのに、掘り下げて議論する余裕がなかったことが惜しまれる。とはいえ、それぞれの論点を出しあい、1960年代研究に向けての有効性のありそうな視角、課題などについて参加者で認識を共有をし、スタートラインに着くができたという点では、共同研究のキックオフ・ミーティングとして十分な意義があったといえるだろう──などと研究会をふり返りつつ、すっかり涼しくなった夕方の北大構内を抜けて札幌駅近くの丸海屋での懇親会へと我々は足早に向かったのだった。
さて、前述の参加人数が少なかった理由であるが、文学・思想懇話会に従来から参加してくださっていた、いわゆる常連が今回は揃わなかったということがある。場所が北海道ということもあろうし、今やそれぞれが勤務先で中堅的な位置を占めるような年齢となって自由に予定を取れなくなっているということもあるだろう。実際、参加者の中でも土屋氏のように仕事のため翌朝東京にとんぼ返りせねばならない人もいた。今後は、例えば普及が進んできたインターネットのTV会議システムなどを利用するなどの方策を考える必要があるのではないか。ただし、終了後の懇親会でご当地の旨いものを食べるという、研究会のもう一つの楽しみはこの場合お預けとなるので、誰も気乗りしないかもしれないけれど。
最後になったが、発表者・参加者各位、とりわけ(ともすると構想だけで消えるかに見えた)札幌での会をその実行力で実現へと強く押し進めた幹事役の森岡氏には、心よりお礼申し上げたい。また、押野氏にはご多忙な中、会場を提供いただいただけでなく、飲み会、はては翌日の小樽観光までお世話いただいた。そのお心遣いは、「みんな花咲蟹食べっててよ。まあ、札幌在住の自分にとってはスーパーでも売ってて珍しくもないけど」(大意)という一同の羨望を集めた発言とともに、我々の心に刻み込まれたように思う。是非また札幌で研究会をしたいのでよろしくお願いします。
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