●印象記1
報告者:畑中健二
2003年8月28日(木)
1.東工大での開催
初めて東京での会となった。会のメンバーが全国に散らばりはじめて東京が集まりやすい場所になり、またできれば東工大の教官にも来てもらおうという思惑もあって、当大学での開催となったように思われる。日程は8月下旬となり、厳しい暑さを心配していたが、冷夏ということで堪えがたいほどの気温にならなかったのは、会としては幸いだった。
参加者は20名程度であっただろうか。札幌からは押野武志さん、大分からは野坂昭雄さんが遠路来て下さったほか、仙台からは院生が何人か集まってくれた。ただ、時間の都合などで日帰り旅程の人が多かったのは残念。思惑通りといおうか、東工大の井口時男先生、途中からは井上健先生にもお運びいただくことができた。
2.発表の印象
今回は特にテーマを定めず発表者を募り、三本の発表を行った。
最初の高橋由貴「1958年の大江健三郎における『われわれ』─『戦いの今日』を中心に」は、日本人の「かれ」、アメリカ人脱走兵アシュレイなど、登場人物たちが関わりあう中での「われわれ」という意識を取り上げ、その連帯感のゆらぎに着目して「戦いの今日」を読もうとする試みだったといえる。
発表時間やどんな聞き手がいるかが発表者には掴みづらかったのか、今回は具体的な整理や構造分析の部分の説明がかなり端折られたものになった印象で、その点が惜しまれた。大江論として「われわれ」に着目すること自体は興味深く、有効な切り口だと思われるので、論文としてまとめられ読めるようになる日を待ちたい。なお、このアプローチにはコンピュータを用いたテキスト分析の手法が使えるのではとも思われた。
次の発表、山崎義光「中河與一のモダニズム─偶然文学論争まで」は、中河與一の評論・小説の中から、短編小説の意義、潔癖性の登場人物、正義の相対性、相聞歌への着目等々のトピックを拾い上げ、配布された詳細な中河の書誌(発表者作成)とあわせて、「偶然文学論」へと至る中河のあしどりを明らかにしようとするものだった。
中河の著述にはその時々の時代性とでもいうべきものが敏感に反映しているようで、1920〜1930年代の文学や思潮の動向読みとる手段として中河に着目する意義がまずあるといえるだろう。反面それは、時代の流行との一体性、もっといえば中河の良くも悪くも「凡庸さ」を意味することになる。このことは発表者自身も認めているようで、そのせいであろうか、終了後の懇親会では発表者の中河に対する淡泊さ、愛の無さが揶揄(?)される場面もあった。
最後の加藤達彦「小川未明のアナーキズム」は、未明の童話作家の活動とアナキストとしての側面とを、「新ロマン主義」という概念を援用しつつ統合的に読み直そうとする発表であった。ここで着目されたのが、未明の、社会的弱者である子供の代弁者たろうとする意識や、「金の輪」などの童話に登場する甘美な死のイメージの反社会性、等々である。
これに対し、未明に限らず、社会秩序から逸脱する要素が童話一般に含まれているとの童話論は既にあるので、それを盛り込んだ議論が必要との意見が出されたが、頷けるものに思われた。また、限られた発表時間では難しいのだろうが、「アナーキズム」「新ロマン主義」の概念規定をもっと詳しく聞いてみたいところであった。
司会は、森岡卓司、高橋秀太郎のお二人に分担していただいた。当日頼んだのにもかかわらず、時には自ら積極的に議論に入ったりしながら、うまくさばいていただいたのは有り難かった。幹事としては、発表者に持ち時間を前もって明確に伝えなかったこと、また発表要旨やあらかじめ読んでおく文献の情報等を提出するよう厳しくは催促しなかったことが反省点である。幸い、予定時間の中に収めていただいたが、会のためにはもっと緊張感をもって当たるべきだったかと思う。
(※ 以下、写真はクリックするとおおきめに表示されます。)
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会合風景1 | 会合風景2 |
3.発表の後で
終了後、大岡山駅近くの「つかさ」二階座敷で懇親会。都合で遅れて合流された井口先生からは、発表者各々に対して、また会そのものに対し、厳しくもあたたかい、熱のこもった叱咤激励をいただいた──こうまとめるとゲストへの単なる社交辞令のようだが、違うのだ。叱咤されたことは、発表者それぞれ今後に生かしてゆくだろうし、私もそうしたいと思っているので、詳細についてはここでは割愛し、その場に居合わせた者の特権だと開き直ってみたい。その後、新宿二丁目の「bura」に移動。解散は、始発電車が動き始めた新宿駅、午前5時であった。
4.
末尾になりましたが、発表者の方をはじめ、遠路お越しいただいたみなさんに感謝いたします。また、会の一員としての立場から、この場を借りて井口先生と井上先生にお礼申し上げたいと思います。それでは、次回また会えることを楽しみにしつつ。
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●印象記2
報告者:森岡卓司
第七回うたたね会参加記
平成15年8月28日、東京工業大学をお借りして行われた文学・思想懇話会、通称うたたね会は、開催事務局を努めて下さった畑中健二さんのご配慮もあって、遠方よりの参加者にも恵まれ、常の通りの盛会となった。いつもながら、どうしてこのような会がこれほどのご参加ご協力を賜ることが出来るのか、微力ながら運営に携わるものとしては無責任な感想ながら、不思議、としか言いようがない思いにとらわれることがある。何せ、会員ナシ、会費ナシ、従って財政と呼べるものはナシ、定期的な開催でもナク、おまけに毎回取り扱うテーマは違う。一貫性を欠くこと甚だしい。以前の参加記で、土屋忍さんが、党派集団を免れることが可能だと錯覚することの非を書いておられた。いずれそのようだとするならば、この会ももう少しは自らの身を律することを覚えるべきだろう。しかし、それとは別に、そのようなイイカゲンな会であるからこそ、出来ることがあるようにも思う。メタレヴェルからの権威付けや拘束がないことの利点を最大限活かすことはできないのか。今回のテーマナシ研究会(企画段階でそれは「うたたね会@ネチネチモード」と呼ばれていた)は、そのような企図から生まれたのである。
さて、そのような経緯を経て準備された研究発表個々の内容については、既に畑中さんが手際よく要約して下さっているので、ここでは質疑を通じて話題になったことの幾つかを、ごく主観的な印象として書き留めておきたい。
大江「戦いの今日」を巡る発表では、初期大江における〈われわれ〉と〈外部〉の問題が採り上げられた。質疑で話題になったこととも関わって、これに近い時期の大江のある発言が思い出された。ジャーナリズムによって興味本位、ワイドショー的に採りあげられた永井荷風の死について、大江はその報道・関心のあり方を口を極めて批判し、荷風を擁護するのだが、その中で、「若い」〈われわれ〉は孤立するべきだ、と主張している。勿論これは、文字通りの「孤立」というよりは、ジャーナリズムに毒されない感性を持て、という(平凡といえば平凡な)主張に解釈するべき文脈を持っているのだが、しかしこの文字面の矛盾は、その後の大江小説が問うた課題を図らずも示しているようにも思えないだろうか。「戦いの今日」というテクストを採りあげる意図は、発表者の緊張と混乱の中に紛れて見えにくかったのだが、このような糸口をもとに今一度それを考え直してみたいと思う。
中河與一のモダニズムを巡る発表の主な意図は、広くモダニズム全体に関わる中河の営為を追いつつ、「シエストフ的不安」等幾つかの結節点を経て、同時代の文学・思想が辿った命脈へと開いていこうというような点にあったかと想像するが、その後者については私などには今少し明確には見えづらいところもあった。そのような事情もあってか、「このような平均的な作家を今なぜ採りあげる必要があるのか」という、些か挑発的な質問があった。全ての発表が性急に〈今・ここ〉(しかし、そのようなものはどこにあるのか、というのも今一つの難題であろう)に結びつけられる必然性はないだろうが、しかし、この挑発は、改めて〈われわれ〉の会自体の足場を問い直す確実な機縁となるだろう。論じることの必然性を、担保なしに支えることはどのようにして可能だろうか。
小川未明のアナーキズムを巡る発表は、「ぼんやりした民本主義や人道主義」(大杉栄)とも呼んでいいようなその未明の思想をどのように評価するか、という問題を提起するものだったと思う。一見して明らかなように、既成の「主義」を単純に引用してはその評価は難しい。評価軸自体を批判的に再構築するという、極めて困難な試みがそこには要請されるだろう。
以上極めて恣意的に選びとりながら会の感想を述べてきたが、しかし、これらの議論を通じて問われたのが、個々の研究内容であると同時に、うたたね会そのもののあり方、或いはうたたね会に臨むわれわれの姿勢であったことは間違いのないことだったと思う。パフォーマンスやメタな場所からの空虚な言葉に拠ってではなく、一つ一つの研究発表そのものを通じて、そのような問いかけが着実になされたことを、今回の研究会の最大の成果として私は考えている。
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