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 韓日日本文学研究者交流研究会 (予告として掲載した記事)

 以下の会は終了いたしました。

韓日日本文学研究者交流研究会

文学・思想懇話会 韓国日本文化学会 共催 [開催の経緯]

日時 : 2002年8月16日(金),8月17日(土) 場所 : 忠南大学(韓国・大田)

テーマ: 複数の日本(語)文学史―〈戦後〉を巡って― [テーマ趣旨]

第1日目 2002年8月16日(金) 12:00〜13:00〜 (8/2修正)

研究発表

 ●森岡卓司  江藤淳『成熟と喪失』の〈戦後〉 [発表要旨]

 ●土屋 忍  戦後的思考――〈からゆき小説〉と〈ジャパゆき小説〉をめぐって――[発表要旨]

 ●波潟 剛  引揚者からシュルレアリストへ──戦後復興期の安部公房――[発表要旨]

 ●ワン・シンニョン(王信英)  日本の1930年代と尹東柱(ユン・ドンジュ) [発表要旨]

  懇親会

第2日目 2002年8月17日(土) 10:00〜

研究発表

 ●佐野正人  帰還者の文学/帰還せざる者の文学 [発表要旨]

 ●キム・キョンウォン(金京媛)  韓国文学史と在日文学 [発表要旨]

 ●チョン・デソン(鄭大成)  日本語で<コリアン・ディアスポラ>を書くということ ――金達寿ルネサンスは夢か――  [発表要旨]
<ディアスポラ>の日本語文学 ――金達寿ルネサンスは夢か(2002.8/14変更)

 ●川村 湊  (未定) 

テーマ討議

1日目の発表と2日目の報告をもとにテーマについて参加者で討議


 上記の日程で開催いたします。(2002.7/23記)

(注)
 上記予定の詳細については、1日目の発表になるか2日目になるかという発表予定日・発表の順番等について変更の可能性があります。
 発表予定者・発表題目のご確認までとのご理解でご覧ください。
 7月中旬には確定の情報をアップする予定です。
(2002.7/23 del)

【テーマ趣旨】

  「複数の日本(語)文学史―〈戦後〉を巡って―」

 1945年以降、様々に試みられた「日本(近代)文学史」の記述は、それぞれの記述を支える多様な「文学観」の交錯を示すものであること、言をまたない。それらの「文学観」の批判、或いはそれらの「文学史」が採り上げ得なかったテクストを発掘する試みは、これまでにも多く行われてきた。しかし、そこで1945年8月前後の〈切断/連続〉が一つの重要なトピックスとして取り扱われていること等を意識しても、1930年前後(昭和10年前後)の日本思想・文学が持ち得た多様な可能性を踏まえつつ、改めて「日本(語)文学史の〈戦後〉」を再検討することは、決して意義少なからぬものであろう。
 以上のような観点に立ちながら、特に戦後の日本(語)文学史を巡る状況を、日本の特殊性という枠内のみで考えるのではなく、例えば東アジアを中心とした広義の交流の場の中に置くことで、改めて複眼的に捉え直し、加えてその史的状況の中、今現在も様々な場から行われる日本(語)文学に対する研究・批評の在処を再検討することを目指したい。無論それは、各テクストの個別的具体的な相を通じて、複数の「日本(語)文学史」を浮上させる試みであり、同時にその複数性・多様性の質自体を問う試みでもある。

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【研究会開催の経緯】

 このたびの「韓日日本文学研究者交流研究会」は、「文学・思想懇話会」のこれまでの運営方法で、韓国での研究会開催を相談しておりましたところ、佐野正人氏をはじめ韓国在住の方々および従来この研究会に様々の形でお集まりいただいていた皆様の賛同・協力を得ることができました。そして、佐野正人氏より権五樺(クォン・オヨプ)氏へ研究会の構想をお話いただくことで、韓国日本文化学会との共催が実現いたしました。
 会合の中心テーマは「複数の日本(語)文学史―〈戦後〉を巡って―」です。研究発表は、これまで同様、企画メンバーからのお願いを快く引き受けてくださった方々です。斡旋くださった方々、そしてご発表をお引き受けくださった方々、運営にご協力いただいた方々に、厚く御礼申し上げます。
 当日の発表とその場での討議が、このテーマが目指す「複数の日本(語)文学史」を構想する手がかりとなる会合となりますことを期待しております。

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【発表要旨】

1日目

 ●森岡卓司  江藤淳『成熟と喪失』の〈戦後〉

 「日本に於ける〈近代〉化」というテーマに即して編集された「〈戦後〉文学史」であり、多くの批評の対象となりつつ現在なお有力な「文学観」の一つと見なされ続けている江藤淳「成熟と喪失 ―母の“崩壊”―」について検討を加える。
 「われらの時代」をはじめとする作品群にあらわれる大江健三郎の「政治性」について江藤が加えた激しい批判等に留意しながら、日本に於ける「アジア」(「母」がその名の下に〈身内〉化していた何者か)の視点が「成熟と喪失」には認められないことと、夙に指摘されるようなこの「日本文学史」に於ける「アメリカ」という存在が含む問題との関連を考察する。また、江藤が漱石―実篤―谷崎という日露〈戦後〉文学に触れていることにも着目しながら、「成熟と喪失」が提示する「個人」或いは「治者」という像について、その文学史的記述の方法を考えたい。

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 ●土屋 忍  戦後的思考──〈からゆき小説〉と〈ジャパゆき小説〉をめぐって──

 『南の肌』(円地文子、1961)は、1900(明治33)年の「おくんち」(長崎の大祭)で「女衒」の手先に目をつけられた天草の女性が「からゆきさん」として海を渡る場面からはじまり、英国人男性とともに帰国し、翌1945(昭和20)年に「終戦」を迎え、戦後の日本をふたりで「つつましく」生きるところまでを描いた〈からゆき小説〉である。それに対して『雷神鳥(サンダーバード)』(立松和平、1992)は、フィリピーナとの「偽装結婚」を「結婚」と受けとめる日本人男性の視点を通して、「ジャパゆきさん」という呼称を表に出さずに「ジャパゆきさん」を描いた〈ジャパゆき小説〉である。両者における故郷意識や近代史記述としての側面を検討しながら、様式史や文芸思潮史とは異なる「文学史」を模索できればと思っている。

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 ●波潟 剛  引揚者からシュルレアリストへ──戦後復興期の安部公房──

 戦後派の作家安部公房は、「ぼくは東京で生れ、旧満洲で育った。しかし原籍は北海道であり(中略)、故郷をもたない人間だ」という発言を繰り返していた人物である。この発言は安部文学の特徴である無国籍性を保証するものだが、その無国籍性は「引揚者」というイメージを希薄にする作家の戦略とともに生じたと言える。彼が文壇デビューを果たした小説は、「満洲」を舞台としていた。また、彼がシュルレアリスムの実践を小説で試みたその同じ時期、公にすることを極力避けるかたちで「満洲」を舞台とした敗戦者あるいは引揚者の物語を執筆していたことも近年明らかになった。では、安部文学における無国籍性と、彼の満洲体験や引揚体験とはどのように関わり合っていたのか。本発表では、安部公房という作家が「戦後」の文学界、あるいは「戦後」の日本社会をどのように見た結果、「シュルレアリスト」の道を選んだのかという疑問のもとに、彼の初期小説を読み直してみたい。

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 ●ワン・シンニョン(王信英)  日本の1930年代と尹東柱(ユン・ドンジュ)

 翼賛的一元体制にすべてが吸収されて行く敗戦直前までの日本の1940年代には、逆説的でありながら<文化>が溢れている。それはもちろん一元的世界を成り立たせるためのシステムとしての<文化>であろう。1930年代の日本の知識人たちの多様な言説の中にはそのようにシステム化されて行く一元的世界に対する苛立ちの意識がみられる。多様さとはそのような意識によって破片化されて行った彼らの精神の片鱗としての多様さであろう。
 今や韓国では国民詩人として親しまれている尹東柱の、国民詩人としての像は彼の死後それを望む時代的状況によって造型された側面がなくもない。福岡で獄死した彼の死が象徴するように1942年特高によって逮捕されるまでの彼の生には当時を生きる青年知識人の姿がみられる。それは時代を切り抜いて行くための方法を模索する知識人としての姿そのものである。そして東京から京都への移行は彼のその模索の方向を示すものではないだろうか。その可能性を彼の残した僅かな資料から読み取ることができる。それらの資料を通して造型された国民詩人としての尹東柱ではなく当時を生きた一人の知識人青年としての彼の姿に近づいてみたいとおもう。

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2日目

 ●佐野正人  帰還者の文学/帰還せざる者の文学

 日本の戦後は、多く〈脱帝国主義化〉の過程として表象され、ドイツら敗戦国のたどった過程と平行するものとして考えられてきた。「ねじれ」「汚れ」(加藤典洋)といったタームは戦後のいまだ清算されざる原罪意識を示している。しかし、戦後の〈脱帝国主義化〉の過程を特権化することで、われわれはアジアの〈脱植民地化〉の過程との相互流通の可能性を閉ざしてしまってきたのではないだろうか。1970年前後に〈ナショナルな物語〉が前景化するまで戦後は多種多様な経験と可能性に開かれた空間として存在している。その内実はポストコロニアルな〈脱植民地化〉の過程と通底するものであったと思われる。
 本論では金石範と日野啓三という二人の作家を取りあげ、帰還した者(日野啓三)が亡命者でもありえ、帰還せざる者(金石範)がまたコメットメントする者でもあった日韓の戦後という空間のダイナミズムを照明してみたい。加藤典洋『敗戦後論』や崔元植の「近代論」についても言及したいと思っている。

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 ●キム・キョンウォン(金京媛)  韓国文学史と在日文学

 残念ながら在日文学は、韓国文学史という範疇の中に編入されることを一言の下に拒絶されてきた。それは在日文学が日本語で書かれたという「自明の」理由からだ。この点は韓国文学通史を記述するにあたって、漢文文学が国文学だということを証明するために傾けた莫大な努力と比較するとき非常に対照的だ。なぜ、このようなことが起こったのだろうか。この点について、根本的にもう一度考えてみるためには韓国文学という概念の規定から疑うことなしに、本来的で本質的なものとして想定されている韓国語について、同時に在日文学に使われた日本語について、ひいてはまるで自明な実体のように扱われてきた国語(民族語)、国文学史という範疇自体から考えてみざるをえない。韓国文学史は在日文学をはじめとする在外文学を包摂することによって、自身の矛盾に果敢にぶつかっていかねばならない時だと考えるものである。

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 ●チョン・デソン(鄭大成)  日本語で<コリアン・ディアスポラ>を書くということ――金達寿ルネサンスは夢か―― (2002.8/14変更)<ディアスポラ>の日本語文学 ――金達寿ルネサンスは夢か

 いわゆる「日本文学史」というものを韓国から見ると、その一国史観や<周辺>の隠蔽についてあらためて考えさせられる。
 1945年8月15日を前後して日本における日本語作家として活動しだした金達寿は、「戦後」(「解放後」)の最も優れたポストコロニアルな作家の一人であったにもかかわらず、日本でも韓国でもいまだ正当な評価が与えられていない。本発表では、その足跡を再評価しつつ、それとオーバーラップさせて、日本(語)文学史そのものを多元化してゆく可能性を打診したい。
 現代史を身をもって抉ろうとした初期・中期の小説群、後期における古代史探訪の記録群 ――そのどれもが日本<語>文学のスリリングな実験であったが、前者は類まれな<離散>文学であり、後者は暴力的な「単一民族神話」に対する平和な異議申立てであった。
 ただし、その<シオニズム>と<クレオール主義>の間で、<他者>どうしの出会いを思い出し実践してゆく文学史のエクリチュールはいかにして可能か。さらにできれば、そのような作業が、東アジア的視野から<日本(語)>(ひいては<韓国(語)><中国(語)>など)を開いてゆく一つの重要な契機を孕んでいるということを論じようと思う。

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