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第8回 文学・思想懇話会(2004.4/18)の報告

山形駅近くの山形テレサの一室をお借りして、
第8回文学・思想懇話会研究発表会が開催されました

●印象記 森岡卓司


●印象記

報告者:森岡卓司

 近代の社会に於て、最も大きな価値削減要因となるのは「遅れる」ことかもしれない。例えば、「遅刻」を繰り返すものは真っ当な社会の成員とは認められず、「停滞」しているものは常に「改革」されるべき対象となる。もし、普遍的な「時間」観念の内面化こそ近代を特徴づける、という例の通説を認めるならば、近代とはそのような「遅れ」の問題が飛躍的に全面化した時代だと考えられるかもしれない。

 しかし、「遅れる」とは本質的にどのようなことなのだろうか。たとえば、Aという原因でA2という結果が生み出された場合、より価値的なのはAであり、A2はそのAに「遅れ」て登場する因果律的な剰余にすぎないと見倣される場合がある(因果律・オリジナル信仰)。逆に、Bというものから新たにB2というものが発生し、広まった場合には、BはB2に比べて「遅れ」ており、「進んだ」B2の方がより価値的だと見倣される場合もある(弁証法・進歩主義)。要するに、時間の前後に関わらず、価値的に劣ると判断されたものが、往々にして「遅れ」たものと呼ばれることになる。であるならば、問題は時間軸そのものではなく、時間軸の喩によって示されるような相対的・関係的な価値判断の観念が、我々の思考にあって如何に抜きがたく本質化されているのか、という点にこそあることとなろう。ここに、「鶏が先か、卵か先か」という例の慣用句を想起してもよいのだが、そこで問題となるのは、「鶏」と「卵」のどちらが「進んで」いるのかという問いへの直接的な解答(無論そのような「解答」など存在しない)などでは決してなく、「鶏」「卵」のどちらをも「遅れ」ていると見倣し得る思考の形態そのもののはずだ。

 このような「遅れ」の問題は、複数の事柄に何らかの関係が見いだされるとき、そこに常に召喚される。既に指摘されるように(山田広昭『三点確保』2001)、(俗に)「ロマンティシズム」と呼ばれる態度を、その一つの典型として見ることもできよう。そしてより広汎には、「表象(再現前、re-presentation)」と呼ばれるもの全てがその「遅れ」をいわば原理的に抱え持つと考えることも可能である(最早言うまでもないが、それは、表象に先行する何らかの「実体」こそがより価値的だという例の信仰への帰依を必ずしも強要するものではない)。とするならば、そのような原理論を視野に納めた表象分析は、表象によってこそ構成されてしまうような我々のアクチュアリティの質を問う糸口にさえもなり得るだろうか…。

 およそ以上のような、大風呂敷にもほどがあろうという私の思いつきを、何かの弾みで真に受けてしまった、或いは真に受けるふりを引き受けてしまった高橋秀太郎氏と畑中健二氏は、私を交えて幾度か小さな打ち合わせ会を持つことを強要された上、今回のうたたね会での発表・司会をすらつとめて下さることとなった。この場を借りてお詫びと御礼とを申し上げたい。

 さて、そのような経緯を辿りつつなされた今回の高橋氏の発表は、「進んだ」西洋と「遅れ」た日本との葛藤が極限的に前景化した第二次世界大戦下の近代日本に於て、表象がどのような問題を提示したのかを探るものであったと言えようか。

 太宰治「鴎」を論じるに先だって、亀井秀雄「戦争下の私小説問題―その「抵抗」の姿」(『位置』1963)などをも手がかりとしつつ、昭和十五年前後の所謂「新体制運動」の有様を、多数の同時代文献の中から浮かび上げる作業が行われた。その過程に於て氏が示したのは、従来の私小説的文学観が「文学」の自律性の根拠としてきたような「文学/政治」という二項対立について、より高次の至上性を提示することでその距離感を無化し一元化する「新体制」の姿であった。氏が「当時の流行語」を捩りつつ正しく指摘するように、「私」や「芸術」をいかなる媒介もなしに「大理想」へと回収しようとする当時の「新体制」のロジックを前にして、如何なる「文学」であろうとそれが「文学」であるという理由だけをもって「バスに乗り遅れる」ことは既に不可能だろう。

 そして、そのようなより全体的・包括的な「ロマンチシズム」としての「新体制」を最も正確に理解していた作家の一人が、氏によれば太宰ということになる。「古典的秩序へのあこがれ」を廃棄した現実容認的な「浪漫的完成」に「新し」さや救いを認める太宰の言説(「一日の労苦」、『新潮』1938)を重視する氏は、当時の太宰のテクストに所謂「余計もの」意識やそれに基づく時局批判ばかりを見ようとしてきた先行論を厳しく批判していく。

 その上で氏が見いだそうとするのは、現実(実際の戦場)や(まっとうな)人間・社会からの「遅れ」の身振りを自覚的に示しつつ、同時にそのような身振りが最早「遅れ」たものではあり得ないことをも自覚する、捻れた表象の位相である。発表末尾に氏が引用した岩上順一「主体の喪失」(『文学の主体』1942)に端的に示される、「新体制」という圧倒的なトータリズムを前にした主体の変質は、そのような表象の捻れとして示されることになる。

 およそ以上のような論を展開した後、高橋氏は、同様の問題系を、同時代の他の文学的・思想的な潮流、例えば小林秀雄の「歴史」概念、或いは保田与重郎の「文学」概念などにも見いだすことの可能性を示唆して発表を終えた。続く質疑に於ては、同時代の転向小説や私小説との比較分析、「遅れ」という概念を中心化することの有効性について、また戦争文学或いはルポルタージュ文学との関わり、などについて活発な質疑が交わされた。何れも興味深い論点であるが、一方で、このような捻れた自己意識、「遅れ」意識の様相は、「自己」或いは「文学(芸術)」が既に何らかの意味で複製であるという、極めて近代的な主体性=主観性のあり方と深く関わるようにも思う。その意味でも、太宰の言う「ロマンチシズム」についての、より広い視野からの論及が今後の氏には期待されるのではないだろうか。質疑で問われた事柄の幾つかについては、そのような理論的整備によってより論点が明確になるようにも思われる。

 発表を終えたあと、一同夕刻を前にして近所の蕎麦屋に飛び込み、板蕎麦とビールを並べつつ(このあたりが山形開催ならではの楽しみに違いない)、発表について、また「遅れ」というテーマそのものについて、更に議論が交わされた。如何に駅前とは言え、多くの出席者にとってはかなりの遠方開催でもあり、まだまだ言い足りない部分を残しながら帰途につかれる方も多く、その点は大変に残念であった。また、開催幹事である私の不手際で多々ご迷惑をおかけした点のあろうことは想像に難くなく、この場でご寛恕を乞いたいと思う。しかし、後日メールで意見の補足をして下さった参加者などのお陰もあり、全体としては大変有意義な研究会となり得たのではないだろうか。お運び頂いた皆様に改めて御礼を申し上げたいと思う。

 先に述べたように、今回の研究会の発端となったのは単なる思いつきの大風呂敷に過ぎないコンセプトで、その風呂敷自体に結構な破れ目がありそうなこともまた質疑を通じて明るみに出つつある。しかし、あまりにしっかりした風呂敷で包まれた「新体制」の中では鴎のように無言でさまよう他ないとすれば、綻びだらけの風呂敷からほとばしるものを期待することもまた悪くはあるまい。今回の研究会を機縁として、このテーマについてしばらく考えてみたいと私は思っているし、是非また貴重な刺激を頂きたいとも祈念している。

(※ 以下、写真はクリックするとおおきめに表示されます。)
会合風景1会合風景2

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